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捻くれたキモチ

2015/08/22 (土)  カテゴリー/気持ち

やっと、月を見る余裕がでてきました。

明日が半月。
「上弦の月」
拓郎の「旅の宿」だね。(歳がばれる〜)

そう。ちいさい頃は、
大人になれば、あんなふうに愛されて
あんなふうに艶っぽい日々が送れるんだと思ってたな。
ところが!
現実には、おでこに冷えピタを貼り、ヒーフー言う毎日。
隣にいるのは、愛とは無縁のワカランチン。

ハーフムーン1日前の今日は
熱はすっかりさがったけれど、やっぱり身体が疲れていたみたいで
ほぼ1日中寝倒してしまいました。
熱があるときより、ぐっすり熟睡。

「よく寝たなー」とリビングに来てテレビをつけたら
あら!今日は24時間テレビの日なのね。
私がひねくれているのかも知れないけど、
「かわいそうな子はいないか?」「苦しんでる人はいないか?」って
テレビ界の生ハゲみたいな番組に思える。
勿論、ここで報道されることで注目してもらえて
寄付金、義援金が増えることになるならそれは素晴らしいことなんだけど。
それは1日限定で24時間通してやらなくても、
毎週1時間ずつじゃダメなの?
今回のドラマもまた亡くなる人の話なんでしょ?
それになんで、この暑い中、マラソンさせるかな?

私が中学生か高校の生の頃、
「女ののど自慢」って番組があったんですよ。
素人の女の人ののど自慢なんだけど
のど自慢に入る前に自分の半生を振り返るの。
そこだけで観客の皆さんも大号泣。
お気の毒なぐらい大変な思いをされた方が
「今、元気に歌を歌っている」ってとこがコンセプト。
最初に観客の方が審査の数字をいれて
最後に審査員のおじさまたちが数字を入れるんだけど
不幸エピソードたくさんの方は、
歌があまりお上手じゃなくても
観客審査員だけで合格点に達することが多く。
特に不幸エピソードがなく、
「孫たちに囲まれて幸せです」というようなお若く見えるおばさまは
どんなに歌が上手でも観客からの数字が入らない。

びっくりして母に「何?これのど自慢じゃないじゃん!」って言ったのを覚えている。
「何なの?この不幸自慢」って思っちゃった。
母は「残念なことだけど、世の中はこういう側面がある」というようなことを言った気がする。
「やだ!もう見ないでよ!」ってチャネルを変えた気がする。

時々「まだあのテレビ、見てるんじゃないでしょうね?」と言うと
「もう見てないよ」と笑ってたけど、どうだったかな(笑)

あ。話を戻して24時間テレビ。
小学生の頃は、純粋に貯金箱のお金を募金したりしてたけど
今は「他人の不幸は蜜の味?」って思っちゃう。
あ。障がいを持った方や病気の方が不幸という意味ではありません。
局側の意図がね、そう思うってことです。
何か挑戦する子供たちの姿はやっぱり心から応援したくなる。

私も転移したがんを患って、
まぁ、ヒーフーするぐらいで元気だけど
残念ながら、
やっぱり興味半分、好奇心半分で近づいてくる人はいる。
最初は全然気付かないんだけど、
やっぱりどこかで気付いてしまう。

ま。そんなわけで私は今年も24時間テレビは見ないけれど
「元気もらいました」
「感動もらいました」
そう素直に思える心も取り戻したい気はする。

24時間テレビを見て、元気貰った人、
感動もらった人、勇気もらった人。
どうか、今日1日だけの感傷にしないでほしいと願う。


t822.jpg



8月12日に。

2015/08/14 (金)  カテゴリー/気持ち

本当は、8月12日に書きたかったんだけど。。。

副作用でヘロリンコだったり、
色んなグチャグチャした気持ちだったりで
当日は書けなかったこと。

30年前の8月12日は
日航機墜落の日。

あの日。私は友達と大磯ロングブーチで遊んでいた。
家に帰ってから、事故のことを知った。

あの事故についてのたくさんの本や資料は今も家にある。

あれからもう30年。

私なんかに語れることは何もないのだけれど。

ご遺族の方の30年を思う。

あるご遺族の方の「時間は優しく癒してくれるけれど
解決はしてくれない。
解決は一生しない」という言葉が響いた。

でも。でも。
語弊のある言い方になってしまうけど
「どんなに絶望しても、人は生きていける」ことも教えてもらってもいる。
事故で亡くなった方と私を同じに語っては申し訳なさすぎるが、
妹や主人に対してそう願っているから。
勿論、簡単な30年であったはずもなく、
「30年」なんて、周りが勝手に言ってるだけで区切りでも何でもないと思う。

8月は、命について思うことが多い月だと
以前から思ってた。
でも、転移してからは
よりいっそうその気持ちが強くなった。

明日は、終戦記念日。

今年からは母にも会える月にもなった。

そして、誕生月でもある。

ただただ、当たり前に大好きだった「8月」だけど。
今は、当たり前にやってくることわけではない「8月」だと知っている。

副作用のせいなのか、暑さのせいなのか、がんのせいなのか。。。
倦怠感がひどい毎日。
何を書きたいのか、わからなくなりました。

「私が死んだら悲しんでくれる人がいるから、もう少し頑張ります」と、
8月12日の19時少し前、黙祷しながら思いました。というお話でした。






ずっとずっと先のお話

2015/06/10 (水)  カテゴリー/気持ち

母が私の年齢の頃、
私は21歳だった。
大学生の頃か。。。
多分、母が自分の父(私の祖父)を亡くしたぐらいの時だ。

とっくの昔にわかっていたことだけど、
そう考えると、私って本当に幼稚で未熟。

私、自分のことしか考えてないもん。

がん患者になったって、
命にタイムリミットができたって
僻んだり、羨ましがったり、いじけたり。
醜く淀んだ心は綺麗にならず。
くっだらないことで愚痴ばかり。
煩悩だらけ。
マックロクロスケは大きくなるばかり。

昔観たお芝居で
「好きな人のオバケならいいでしょ?」って台詞があったの。
確か、女の人が恋人の元にオバケになって現れるとかそんなお話だったかなぁ?
恋人は「オバケはオバケだからイヤ」って怖がるの。
あれ、堤さんだったような。。。。うーん。。忘れた。
内容は忘れたけど、その台詞だけは覚えてて。
私だったらどうかなぁ?って考えたことがあったな。
オバケは怖いけど、好きな人のオバケならいいかも!とか
意味もなく、ちょっぴり真面目に考えさせられた台詞だった。

でも気付いてみたら、自分がオバケになる側だったわ。
あの頃は、自分がオバケ側になるなんて想像もしてなかった。
(不謹慎な表現でごめんなさい)

ママのオバケに会いたいな。
「幸せだった?」って聞きたいの。
「ごめんね」って謝りたいの。
「ありがとう」って言いたいの。
教えてほしいことがあるの。
何でもいいから会いたいの。
でもドリカムの歌じゃないけど、
今は夢でも会えない。
んもー。どこで何してるのよ?

私がオバケになって、そうちゃんのとこに行ったら
恐がりのそうちゃんはビビリまくって泣くんだろうな。
けんちゃんも泣いちゃうかな。
けんちゃんは意味がわからないから
「あすちゃん!」って無邪気に来てくれるかも。
びんちゃんは絶対に相手にしないだろうな。
妹子とは涙の再会になるのかな。
「貸してた服、返してよ」って怒られたりしてね。

うーん。
お星様よりオバケになりたいかも。私。
オバQのQちゃんみたいに、
そうちゃんちの大飯喰らいになってやる。
びんちゃんとこには、時々行ってあげよう。
再婚したら、お邪魔はしないわ。
みんなのとこにも遊びに行くから怖がらないでね。
まぁたぶん、ずっとずっと先のお話。


DSC_1675.jpg

びんちゃんの病室から見たオレンジの海。夕焼け





ユビキリゲンマン

2015/03/31 (火)  カテゴリー/気持ち

なんとなく桜を見るのが怖いような
申し訳ないような。切ないような。。。
そんな気持ちでした。

今年は母の「きれいだね〜」って声が聞けないんだなって思っちゃって、
春が来るのが恨めしい気持ちもありました。
桜。
きっと見たかっただろうな。
そう思うと桜が咲くのを見るのが切なかった。

だけど。。。
ここ最近、あちこちで見かけた「春」は、やっぱり私の心を
少しだけ明るくしてくれた気がします。
一緒に見てたでしょ?
きれいだったでしょ?

何度も何度も
母のところに行っちゃおうと思った長い夜。
これからも、そんな夜がきっと何度もある。
でもきっと、私のそばにいてくれると信じてる。

ひとりじゃないよと教えてくれる人たちがいるから
「もう少しがんばってみよう」と思える。
そうだ。母のとこに行けることは決まってるんだもん。
急がなくても、母は待っててくれる。
だから、もう少しもがいてみよう。

母のこともびんちゃんのことも
絶対に免罪符にしない。言い訳にしない。
私は私のことをちゃんとする。
「ちゃんと」はできないかもだけどね^^;
約束!

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ひとりごと

2015/02/18 (水)  カテゴリー/気持ち

昨日も雪か?と思いましたが
朝、チラホラと舞う程度でした。
寒い寒い1日でしたが、ランチにチゲ鍋を食べ
元気はつらつになりました。

ゼローダは昨夜で飲み切り。
白血球落ちてくる時期なのか、フラフラします。
そんな中、明日はCT。
憂鬱だなぁ。

うまく書ける自信がないけど、
私が生きて感じたことの記録として、
残しておきたい気持ちがあります。

「人が亡くなる」ってこういうことなんだなと、
強く冷たく悲しく胸に迫ることがありました。
ジャーナリストの後藤健二さんの事件です。

後藤さんのことはニュースになるまで知りませんでした。
シリア内戦のことも、テロのことも、
ほとんど何もわかりません。
正直、全く興味がありませんでした。
後藤さんの行動が正しかったのか、本当の勇気なのか、私にはわかりません。
「自己責任」についても、色々考えさせられました。

ただ、何日も後藤さんの安否が気遣われる報道を見ていたので、
単純に助かってほしいとは思っていました。
テレビは後藤さんのニュースであふれ、
中でも子供たちと話す笑顔が印象的でした。

でも、あの日の明け方、
肩甲骨の痛みで目覚めた私は、
眠れなくなり、ネットで後藤さんが亡くなったであろうことを知りました。
怖かった。とにかく怖かったです。

翌日からは、何だか哀しい気持ちになりました。
ワイドショーでは、後藤さんのニュースも伝えるけれども、
コーナーが変われば、
みんな、笑顔でグルメの話題などで盛り上がり、
いつもと変わらぬ毎日が続いていく。
それは当たり前のことなんだけどね。
でも何だかやるせない気持ちになってしまったのです。

そして、日が経つほどに後藤さんについての報道は少なくなっていく。
後藤さんが生きているのか、亡くなったのか、
みんなはそのことに興味があっただけなの?と思ってしまった。
亡くなったとわかったら、それでおしまい?って。

これは仕方ない当たり前のことなんだと思う。
今回のことに限らず、なんでも同じ。
どんな事件でも同じ。
誰でも同じ。
どなたが亡くなっても、生きてる人はお腹がすくし、笑いもする。
ずっと悲しんでほしいわけじゃない。
だれがなくなっても、だれかの日常は変わらなく続く。
悲しくても寂しくても、残された者は「現実」を生きていく。

そんなことは、わかっていたことなのに
後藤さんのニュースで、
私はそのことを胸がつぶれそうに目の当たりにした気分でした。
(あくまでも報道についてで、
ご家族やご友人の気持ちは違うとわかっています。)

後藤さんのことは何も知らないのに、
テレビで取材中の動画を見ると
こんなふうに笑顔だった人が今はもういないのかと強烈に不思議な気持ちになりました。
それは今まで何度かもっと身近で感じたことでもあるのだけど。

後藤さんの過去を悪く書いていた記事もありました。
もしかしたら、本当に、はじめはお金のために取材をしようと思ったのかも知れない。
彼の著書を読んだこともないからわからないけど、
報道の中で見る限り、子供たちに向けられる目は本物だったように感じました。
きっと取材で出会った人や子供を通じて、何か意識が変わったのかも知れない。
私が、転移してから少しだけ変わったように。

難しいことはわからないし、
後藤さんを英雄扱いするのはちょっと違うと、個人的には思います。
でも今は後藤さんたちのことを忘れる自分が恐いのです。
私が今年の年末まで生きているか、わからないけど。
そのころには「そんな人もいたねー」って言う人の方が多いんだろうな。

私は「I AM KENJI」などの運動には参加する気はなかったけど
世界中のたくさんの人があぁして運動してくれたこと。
たくさんの人が解放を願い、祈ってくれたこと。
後藤さんは知らずに逝ったのかな。
教えてあげてほしかったな。。ふと思いました。

後藤さんが残した言葉の中で
「誰かが行かなきゃ、みんな存在を忘れてしまう。
誰かの意識の中に存在しないということは
もはやそれがないことと同じ」というのがあって、
それを読んで何故か泣いてしまった。

私がいつかいなくなったとき
ずっと覚えててくれなくていい。
悲しんでくれなくていい。
ただ、愛しい人の心の中にこっそり存在していたい。
時々「ニヤリ」って感じで思い出してくれたらいい。

ずっと悲しんでいるわけにはいかない。
みんな、前に進まないといけないんだから。
誰かが亡くなっても、違う誰かの日常は続く。それでいい。
だけど生きてる限り、私の心には大切な人たちがずっと存在している。

わけわからない独り言ですいません。
ジャーナリズムともテロとも、全く関係ない話ですいません。
思うように書けませんでした。ガックシ。


そうちゃん、インフルエンザになっちゃいました。
私はしばらく妹子家には立ち入り禁止です。



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